KOGEI Architecture Exhibition | 工芸建築展

建築と工芸をギリギリまで解体する。

2018年10月30日〜11月11日の期間、金沢21世紀美術館で開催されていた、今年で2回目となる「工芸建築展 | KOGEI Architecture Exhibition」に、昨年に引き続き参加させていただいた。

会場の様子。

 

“工芸建築”とは何か。

「工芸建築」は金沢の新しいまちづくりの方向性を模索するために有志が集った「金沢まち・ひと会議」の議論の中で提起されたコンセプトである。(私自身も2012年に東京から金沢に戻ってきて、「金沢まち・ひと会議」に参加させてもらっている。)

文字通り、「工芸」と「建築」を合わせた造語ではあるが、順序を入れ替えて「建築工芸」ではいけないのか、と言われると、これが全く意味合いが変わってくる。

「建築工芸」だと、建築に装飾的、あるいは付属的に工芸がついてくる印象であって(例えば、ドアノブが工芸品でできている、といったような)従来からある建築装飾物としての工芸であり、建築そのものにイノベーションはない。

工芸建築が目指しているものは、そういった部分的な関わり合い方でなく、工芸のように建築をつくったり、またその反対に建築のように工芸をつくったり、互いの在り方そのものに揺さぶりをかけるような試みなのである。

『工芸が工芸であることを、建築が建築であることをやめた工芸建築ver.2.0』。陶芸作家の中村卓夫さんと、哲学者の鞍田崇さんとのコラボレーション。

「建築と工芸をギリギリまで解体し、それぞれの領域を侵しながら同居する工芸建築を考える」。

動かない工芸品。

工芸と建築の大きな違いとは何だろうか。一つはやはりスケール感。そしてもう一つは「動産」か「不動産」かということ。

今回私達が工芸建築展に出した作品は、実際に金沢市にある空き家を対象に作品を制作している。むろん、建物は動かせない。だからこそ、どこに在ってもいいもの、ではなく、ここでなくてはならないものであることが求められる。

また、工芸は素材や産地の地域性は問われるが、完成した作品はその地域性とは切り離され、どの様に使われたり飾られたりするかは自由だ。そして、誰が所有し、誰が目利きをしたかということによっても価値が変わっていく。

一方で建築は、施主のためのオーダーメイドであり、その土地固有の一品生産にもかかわらず、日本では新築から価値は下がり続け減価償却される。

そのような工芸と建築の根本的な特性を融合させ、もし「動かない工芸品」ができ、将来的に残るようなものになれば、それは街にとって新しい財産になるのではないだろうか。

京都を観光するとき、あるいはヨーロッパを訪れるとき、人々は宗教施設や美術館、博物館といった建築を体験し、まちなみを歩くことを楽しむが、金沢ではどうだろう?
 
工芸建築の立ち上げ当初から、街に点在する空き家を金沢のまちづくりに活かせないかという提案もしており、工芸建築はそんな使命も負っている。
 

人間模型を配置して、中村さんが常に考えている器の空間スケールを変えてみることで、工芸と建築の境界が曖昧になってくる。

今回は中村卓夫さんの、実験的作品に対して、私達は建築的なふるまいを加えることでサポートした。

リージョナルな時代を牽引するコンセプトへ。

90年代までは、建築の世界では様々なジャンルが台頭して来た。しかし、それ以降、時代を牽引して行くような、新たな概念・コンセプトがなくなってしまったように感じる。

しかし、モダニズムも、ポストモダニズムも、それまでの概念はあくまでグローバルな世界での話だ。

地域性・局所性、“いまここであること”が世界に開かれていくようなリージョナリズムの現代において、「工芸建築」の試みの中に建築が目指すべき新たなテーマがあるのではないだろうか。

そんな壮大なテーマを密かに夢見ながらも、「工芸建築」を架空の作品で終わらせず、まずは一つ、現実のものとしたいと思っている。

(小津誠一)

時期:2018.10/30-11/11
場所:金沢21世紀美術館

2019.01.08

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